【2016年10月10日の旅の写真とメモから】
井上洋治神父ゆかりの地を訪ねる旅~第1回 生まれ故郷・津久井~
「井上洋治神父ゆかりの地を訪ねる旅~第1回 生まれ故郷・津久井~」が2016年10月10日(月・祝日)に行われました。
ここでは、その旅の写真とメモから、今回訪れることができなかった皆さまにお伝えしたく、当日の様子をお伝えします。
(なお、今回の訪問先では、事前に許可をいただき、個人宅の敷地内にも入らせていただきました)
10時、JR橋本駅から、バスで出発しました。
10時半頃、井上洋治神父の父方の実家(井上家)に到着。
井上神父が「平凡でふつうの農家だった」という父の家
井上神父が生まれる以前からあった蔵
蔵の横には、澄んだ水をたたえた池がありました。
家の向かいを流れる小川では、心地よいせせらぎが……
父の実家から、母の実家に向かう途中、井上神父のアルバムにあった写真「津久井町を遠望する」風景を求めて、バスを降りました。
ここで、井上神父の次のような言葉を味わいました。
山村であるだけに、丘陵地には木々の緑が美しく、当時は鮎や鰻の住む清らかな渓流のせせらぎもきかれた。水田もつくれなかったため経済的には貧しい村であったと思われるが、景色は純日本的な、夕方には墨絵を思わせるような風情を漂わせた村であった。
「漂流―「南無アッバ」まで」(井上洋治著作集5巻『遺稿集「南無アッバ」の祈り』より)
井上神父が綴った「風の家の祈り」のなかにある一文……
「空を行く雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花が捧げる祈りに合わせて
私たちの祈りを、あなたの御前で澄んだものとして下さい」
この一文は、津久井の自然を背景に生まれたのではないかと、しみじみ感じられました。
11時半頃、母の実家(平本家)へ
井上神父のアルバムと同じ風景が目の前に……
井上神父が「門構えも豪華でひろく、代々庄屋をつとめあげていたといわれ、田舎の寒村にあっては恵まれた家であっただけに敷地もひろかったので、私たち一家はその離れを借りて生活していたわけなのである」と記した母の家。
1945(昭和20)年、井上神父は、一家でこの離れを借りて疎開生活をしていました。
ここで出会ったアンリ・ベルクソン『時間と自由』(岩波文庫)が、井上青年を夢中にさせました。この出会いは「これこそが、アッバが私のために用意しておいてくださった」という貴重な出会いであり、ニヒリズムの心の闇から解放されることにつながったのです。
この家に保存されていた「相州津久井領地絵図(平本家本)」は相模原市指定有形文化財となっているという看板が設置されていました。「代々庄屋をつとめあげていた」ということが実感されます。
12時半、津久井湖着。ここで昼食を。
昼食後、山根道公先生の解説により、午前を振り返り、また午後の八木重吉記念館行きへの予習を行い、井上神父も好きだった八木重吉の信仰がにじみ出た詩を味わいました。
この時間の最後には、井上神父の「風の家の祈り」を、しみじみとした想いを胸に皆で唱えました。
14時頃、八木重吉の実家の敷地に隣接する八木重吉記念館に到着。
こどもの心へ帰っていこうとする祈りの詩や自然を通して神のいのちを感じる詩など、井上神父の求道性と響きあう重吉の信仰の原点に触れることができました。
敷地内にある八木重吉像
八木重吉の詩「素朴な琴」が刻まれた詩碑
八木重吉の命日である「茶の花忌」(10月26日)もまもなくという季節に、ちょうど茶の花が咲いていました。
記念館前の道を渡ったところに、八木重吉、妻登美子、子どもたちのお墓が並んであります。
15時頃、バスはJR橋本駅に着き、解散となりました。
井上神父の求道性を育んだ原点に近づくことができた充実した旅でした。